君に会う日が休日

好きなものがあるというのは最高です。

今IZ*ONEに思うこと

 

 

丁度さっき、평행우주(平行宇宙)のSpecial Videoが公開され観てきて、ブワッと、思ってることが溢れそうなので書いておこうと思います。
ただただ思ったことを書いていくので雑かもですが...。

 

まず何から書き始めればいいんだろう。

コンサート数日前のネット記事で出たあの日から本当にガラッと全てが変わって、割とかなり心にきてました。
私が趣味と私生活を区別せずに抜け出せないほどのめり込むタイプだからかもですが、多分私が見ている人たちは、少なくともそういう人が多かったと思う。

 

なんだかよく分からないまま当日を迎え、号泣しながら終わって、

あれ?今ので本当に終わってしまったの?

IZ*ONEって、もう会えない?観れない?

というのが正直なところ。全く実感がわかないくせに、寂しさだけはちゃんと存在するんだからどうしようもない。

 

今もなんだか変にゆったりとした時間が流れていますが、カムバが終わった後みたいな雰囲気が続いてるように感じています。(また少ししたらカムバして忙しい日々が始まっていくんじゃないか、みたいな)

 

過ぎる時間と供給の少なさでなんとなく心を沈めているような感じだったところに来た今回の動画。

なんとなく、私がアイドルのドキュメンタリーが苦手だと思う感覚に似てる気がしていて。

 

IZ*ONEの期限はもちろん、発表の仕方や終わり方は、メンバーにとってきっと私たちオタクが想像するよりも遥かに苦しい出来事で、辛い・寂しいじゃ表せないような、想像もできない感情だと思います。

大人の人たちが(運営というと語弊がある気がするので大人と言います)決めた方向であれば、どうやっても「最後」「別れ」「刹那的な2年半」「限られた時間」みたいな部分に行き着くように出来て、それでいて出てきた上のような12人の感情を、「感動的な別れ」に押し込めて"綺麗に"パッケージしたような感じに違和感を感じるのです。

そしてそれを綺麗な最後として残していく感じ。

 

私はあの発表から、きっと数年経てばIZ*ONE好きで良かったな〜とか思っているんだとは思いますが、それでもこの複雑な感情は絶対忘れたくないなとも思っています。

(綺麗にまとめて、辛さを感じた時の自分が消えてしまうのがなんだか怖いので)

 

きっとメンバーも、数年後IZ*ONEだったことを誇りに思っていても、寂しさや辛さより思い出の楽しさが大きくなったとしても、あのコンサートで見せたときの涙のような、ぐちゃぐちゃな感情って、奥の方に強く残っているんじゃないかなと思うのです。

でもその感情は当たり前なはずだから、綺麗になんてまとめずに、ゆっくりと時間をかけていってほしい。IZ*ONE全体としてもこの出来事をもっともっと大切に丁寧に扱って欲しい。

きっとこの今の期間はメンバーが心を整理していく時間だと思うので。(オタクはどうせ亡霊になります)

 

そんな感じです。メンタルは再び死にました。

そして、IZ*ONEのみんなに会いたいなあ、、